作者 英郎・H
六義園
晩秋から初冬にかけての季節としては両方が楽しめる時にあたりました。このような境目の時は天候不順が多いのですが風もなく良好な天気に終日恵まれました。皆さんと一緒に西武線に乗り話が弾むうちに駒込駅に到着。六義園では一時間位の時間しかありませんでしたが重並さんのガイドよろしく順序よく廻ることができました。
六義園とは松平定信が経営した集古園、攪勝園,竹園、春園、秋園、百菓園の六つの園から現在の名称になったと言われている。。
五代将軍綱吉の信任篤く側用人から老中に出世した柳沢吉保が将軍から賜った加賀前田家の邸跡に元禄(1688~1704)年間に七年の歳月をかけて完成された典型的な大名庭園(国特別名勝)である。八万九千平方メートル、千川上水の水を引いた池を中心に日本名所八十八カ所を移した回遊式の築山泉水庭園になっている。散り残りの紅葉、渡り鳥が日に映え行き交う人の心を癒してくれる。春のつつじ、夏の緑陰、秋の紅葉、冬の雪景色と四季を通じて楽しめる。スケッチブック片手にゆっくりと訪ねてみたい。
都内には大名庭園として、旧芝離宮恩賜庭園、老中大久保定朝が元禄年間に造営された回遊式潮入林泉庭園で明治期に皇室の離宮となり、外国の賓客を迎える接待所として使用された。
浜離宮恩賜庭園(国特別名勝、特別史跡)将軍家の鷹場だったが、その後鴨猟が行われたところ(現在も良く保存されている)。
六代将軍家宣が大改修して浜御殿と呼ばれた潮入回遊式臨海庭園。
小石川後楽園庭園、水戸藩初代頼房と次の黄門水戸光圀が造営。七万平方メートル、神田上水から引き入れた池泉をめぐる回遊式庭園(国特別名勝、国特別史跡)。梅、桜、花菖蒲、紅葉と四季折々に楽しめる。
ほかに三大名園として水戸の偕楽園、岡山の後楽園、金沢の兼六園はあまりにも有名である。
もう少しゆっくり楽しみたい名残りを胸に食事処磯太郎へと急ぐ。美味な和食料理、心づくしの店員のおもてなしセレブな部屋の雰囲気、食事を頂く皆さんも上質とすべてがそろった昼食に大満足。
旧古河邸
江戸の大名文化から文明開化に代表される明治の文化にふれることにしましょう。ゆっくり散策すること七~八分のところに石造りの壁が見えてくる。
旧古河庭園では実業家古河虎之助の邸宅見学(要予約)陸奥宗光の邸宅であったが子息が古河家の養嗣子となったため古河家の所有となる。 外壁は粗い石積みを貼ったピクチュアレスク法が用いられ一階は洋室、二階は和室と和洋二層の和洋折衷様式の建築で大正六年に造られた。
大谷美術館の若い女性学芸員による説明は建築、美術、工芸と分かり易く一時間があっと言う間に過ぎる。
日本の文化をこよなく愛し美を追い求めてやまなかった ジョサイア・コンドルの最晩年(亡くなる一年前)の作にふさわしく日本建築の伝統様式を取り入れた、あくまでもシンプルに素材を生かした造り。コンドルの情熱にみごとに応えた職人達の技は見る者をして、感動させずにはおかない。
戦後英国軍将校に接収されたがコンドルが英国人であったため尊敬の念篤く大切に使用されたと言う。壁面を飾った多くのタペストリーが一枚も残っていないのが残念でならない。
日本の近代建築の礎をつくったコンドルは明治十年工部大学校(現東大)造家学技師として来日、日本ではじめて本格的な建築教育を行う。一回生には辰野金吾(日本銀行、東京駅)、片山東熊(現赤坂迎賓館)、佐立七次郎(旧日本郵政小樽支店)曽禰達蔵がいる。コンドルには鹿鳴館、神田のニコライ堂、旧三井邸(現麹町三井倶楽部)、旧岩崎邸、旧古河邸などがある。
武蔵野台地上の洋館と洋風テラス式庭園はバラ園として有名。 一週間後には刈り取ると言うバラが「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」の抒情を見せてくれている。
低地の心字池を配した和風庭園は明治・大正期を代表する京都の庭師、植治こと小川治平衛の作と言う。彼は旧三井邸庭園、京都岡崎に集中している明治期の実業家の別邸(住友家、三井家、野村家、などいづれも一般非公開)の庭園が残されている。
木もれ日の射すベンチで反省会。重並さんをはじめ、すみれ部のみなさん、今日は文化の香りを沢山浴びることができ、新しい力をいただくことができました。心から感謝いたします。
ボランテイアとは相手の方と深く共感することであると、人は言う。「みんなの間で最も小さい者となりなさい。人に仕えられるのではなく、仕える人になりなさい」、私はこのことばが大変好きである。このことばに生きるためにふれあいの皆さんとこれからも頑張って行きたいと思う。
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