2012年1月3日火曜日

元旦に届いた心に残る2枚の年賀状

作者 陽だまりベンチ

1枚目の年賀状
 私は70歳になります。
 腎臓摘出手術を受けたのですが回復。
又金型磨きを続けています。
 残念ながらアルプス旅行記は読めませんでしたが、
今年も楽しい思い出を沢山作って投稿して下さい。
今度こそは必ず読みます。
 
 先輩は栃木新工場の立ち上げのため宇都宮に単身赴任して頑張っていた仲間の一人、現場叩き上げの彼から良く工務の仕事のイロハを教えて貰いました、しかし
バブルが弾け仕事が減り辛い状況に会社が追い込まれていきました。
 ある時帰省(実際は自宅待機)している彼に電話したとき、
「父は今社宅にいる筈ですけど?」と先輩自慢の娘さんの不安そうな声を覚えています。
「娘二人を大学に通わせているけど収入が減り生活が厳しいので、帰省を我慢して旅費を節約し娘に新しいコートを買ってやったんだ」
「俺に似ず娘は」が口癖の子煩悩な父親の顔になりました。
 ちょうど年号が昭和から平成に変わる頃でした。
 システムエンジニアの走りの様な仕事をしていた私は、暫くして新規事業立ち上げの為本社から呼ばれ、自宅のある埼玉に戻る事が出来ました。
 数年後栃木工場へ出向した時、現場で金型を磨いている先輩と偶然再会しました。彼はOA化が進む職場に能力の限界を感じ現場に出て金型仕上げの道を選んだそうです。
 金型磨きは金型作りには無くてはならない重要な仕事だけれど、包丁研ぎの様な作業を朝から晩まで続ける毎日は、若い人から嫌われ高齢者職場でした、
「この仕事を身に付けたら定年後も仕事を続けられるから良いのだ…」と手を動かしながら淡々と呟いていたのを覚えています。
 
 あれから20年、思いを叶えた彼に頭が下がります。
 70歳になり腎臓摘出しても、頼りにされている先輩を見て羨ましいです、それに比べて私は……、でも2枚目の年賀状を読んで……


2枚目の年賀状
 編集に卓球に情熱を傾けていらして素敵です。
私にも若い頃もあったんだけど……
 平穏な日々に感謝です。
 
 彼女は九州で小学校の先生に就いて間もなく所沢旧家の長男に嫁いで来て、本家の主婦として黙々と一家の切り盛り、子供の養育に励み、感謝されながら御しゅうとさんを見送って気がつくと70歳を超えていたそうです。
 いじめっ子が話題になったふれあい編集会議で、学校帰りにいじめっ子から道を“とうせんぼ”されお気に入りの傘を取り上げられ泣いて帰ったら、取り戻して来いと親から叱られ悲しかった子供の頃の思いでを聞かされた事がありました。可愛いかった彼女の姿が眼に浮かびます。
 此れまでの献身的働きに感謝したご主人は、畑で採れた旬の果物を差し入れ用に持たせ、ふれあい編集会議への送り迎えをして奥様の物書き人生を応援してあげています。
 そんな彼女から届いた励ましの年賀状で、本当は組織の不協和音も目立って来たので、2年続けた編集委員をそろそろ返上しようと考えていたのですが、もう少しやらせて貰おうと考え直しました。
 
 リタイヤ後は先輩は金型磨き、私はシステム言語を日本語に置き換えた物書きボランティア、進む方向は違っても終世現役を目指しますと先輩に返事を書く事が出来ました。

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