作者 馨・O
午前11時頃でした。狭山丘陵内の、県立さいたま緑の森博物館(東西3㎞・南北1㎞)構内の雑木林の遊歩道を17名の視覚障がいの人に19名のボランティアのガイドが付添い、入口から案内所に向かい散策していました。先頭には目立つ黄色の上下の服装の道案内役のガイド(A)が付いていてルートは彼しか知っていませんでした。
このAはしばしば先頭を離れて5~8人目位になっては他のベテラン・ガイド(B)に「先頭・常に先頭に居なければ駄目」と叱られ、「ガイド全員に地図を配っておかなければ」とも注意されていました。そうしたら、とうとうやらかしてしまいました。
このAはしばしば先頭を離れて5~8人目位になっては他のベテラン・ガイド(B)に「先頭・常に先頭に居なければ駄目」と叱られ、「ガイド全員に地図を配っておかなければ」とも注意されていました。そうしたら、とうとうやらかしてしまいました。
道程の3分の2位まで来た時でした。気の利くガイド(C)がAを呼び止め、「到着予定の休憩所に電話を入れておいたら」と注意したのです。Aは立ち止りしゃがみ込んでリユックの底から電話番号を探し出したものの、公衆電話はありません。携帯は持っていないし、掛け方も知らないのでCにお願いしてCの携帯で掛けて貰いました。その間4~5分位か。気が付くと34人の集団は、AとCを追い越して通り過ぎ去りもう後ろ姿も見えません。しまったと思っても後の祭り。150メートルも行くと直進と右折の分岐点があり、右さいたま緑の森博物館案内所と書いた指導標(道案内の立て札)が立っているので、先頭のAが居なくても、追い越した皆は、大丈夫その立て札を見て右折したものとばかり信じきり、AとCの二人は、分岐点で最後尾は見えないけれど右折し、追い付こうと先を急ぎました。
しかし行けど、も行けども最後尾が見えてきません。2人は不安になりました。たまたま反対側から来たすれ違いの何組かがいましたので、「30人位の白い杖を持った人の混じった集団に出会わなかったか」と尋ねましたが誰もが「出会わなかった」と言うのです。それでは直進して山の中に迷い込んでしまったに違いない。さあ大変と二人は大慌てで分岐点に逆戻りし、大急ぎで直進し後を追いました。Aは心の中で「Cが休憩所に電話連絡を入れておかなければ」等と言い出さなかったら、こんな目には合わなかったのにと恨めしくもなりました。
暫く行くと向こうから逆に戻ってくる仲間に出会いました。その時のAの嬉しかったことガックリしました。何故戻ってきたか不思議で尋ねたところ、Cが携帯を持っている者同志で,Aの知らぬ間にちゃんと迷い子グループと連絡し合ってストップをかけ、「戻れ」を指示してくれていたのでした。Aは機転の利くCの処置に感謝感激で一杯になり、文明の利器を自由に使いこなすCを改めて尊敬してしまいました。分岐点からの直進の道は、水溜りやぬかるみも多く大層歩き難く、そのうえそれを往復までさせてしまい、視覚障がいの人々には余計な御苦労をかけてしまい済まなく、後で謝罪しなければと思いました。予定では 全行程1700m位でしたのに2500m位にもなってしまいましたが、落伍者も無く、皆さん健脚で、迷い子失敗も笑い話に流し、かえって丁度良い道程だったという様な元気な顔つきなので、「災い転じて福になった」かと、内心胸を撫でおろしました。正午頃には全員ゴールインしました。
先頭集団が、何故右折・直進の分岐点で右折せずに直進してしまったかというと、道案内の立て札が小さく道の右側にひっこんで立っていたから、誰一人として気が付かずに素通りしてしまったということでした。
AはBの注意のように、ガイド全員にルート案内の地図を渡しておかなかった迂闊を深く反省しました。
歩き終りの案内所は大型の頑丈な丸太のログハウス様で、動植物の標本や写真などが展示されており、庭園もあり、屋内展示室と休憩所を兼ねており、皆で一休みし見学もしました。
暑からず寒からず日照も適当で、久し振りの丘陵地帯の舗装をしてない土の凸凹道、適当な高低差もあり、お喋りをしながらの楽しい歩け歩けの集いでした。
社協への帰り道での昼食会は、和・洋・中華何でも有りの安いバイキングの店でして、テーブルには4人に1台の焼き肉用のガスコンロも付いていて、38名全員で90分間食べまくりしゃべりまくり、和気あいあいのなかでの、活発な意見交換・親睦交流の場となりました。視覚障がいの人のバイキンギ料理のガイドというのは、食べ物の選択や何かが非常に難しいのではないかと心配していましたが、人間食べる事に関してはお互い器用で慣れたもの、以心伝心何の支障も無かったようでした。
視覚障がいの人達だけとの「歩け歩けの会」なので、そんな健康志向の面白くも無い行事に参加希望の物好きな視覚障がいの人が、はたして何人いるだろうかと、企画時には甚だ心許なく心配だったのでしたが、予想に反して、こんなに参加希望者が多く、実にスムーズな盛りあがりになりましたのは、日頃から何か心待ちにしておられた人々の期待に沿えたからではないか、とも受け取れました。このように集いを求めている障がいの人達は案外多く、「また来年も集ろぅや」、「もっと何かやって」という熱烈な声が圧倒的でした。
以上が11月9日に行われた ふれあいガイド部の出かけよう会と迷子騒動の顛末であります。
この歩け歩けのルートを発案し教えてくれ、ボランティア同様に、終始お世話くださいました社協の運転手の野村さんのご協力に深く感謝します。
因みにこの間抜けの道案内のガイド(A)とは筆者でして、野田さん・森田さんと共に3人で担当を務めさせて頂きました。
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