作者 勝也・T
「一ヶ月間アメリカに行ってくる」と言うと、大概「いいですね。ご旅行ですか」という反応が返ってくる。今にして思えば「いいえ、旅行ではなくて」と説明すべきところを、大概「えま、まあ」と曖昧な返事をしてきた。
ところが、帰国してみると「お帰りなさい、アメリカ旅行どうでした。頼んでいた原稿お願いしますよ。一月の十日までに」と広報の人は言う。「えっ、原稿頼んだ?旅行をしてないのに何を書くの?」
「駄目なものはダメとはっきり言わないあなたが悪いのよ。大事な時に留守した罪滅だと思って、何か書きなさいよ」と温かーいアドバイス。
米国滞在の三十日間は、カルフォルニアの州都・サクラメントに住んで半世紀になる妻の妹のところである。妹の所には子どもが四人。それぞれにパートナーがいる。言いたくはないが同性を連れ合いに選んだ輩もいる。五歳をかしらに毎年のように生まれた孫が計六人。
孫たちの公用語は当然ながら英語であるが、祖父母との関係で、日本語、中国語、スペイン語まで片言を話す。孫たちの寝る時間は午後八時。自室でいよいよ一人になる前に、親や祖父母に子守歌のリクエストがくる。『どんぐりコロコロ』をリクエストしたかと思うと、次は『サイレント・ナイト』とクリスマス・ソング。三曲目は『シャボン玉飛んだ』ときた。子守歌の二・三曲が終わると、「ラブユー」を言い残して、暗い部屋に一人残して大人たちは去る。
どの家も共働きで、親たちは平日の朝、めいめいが好きなものを冷蔵庫や引き出しから引っ張り出し簡単な朝食(サンドイッチ、コーンフレイク、オートミールなど)を食べて出掛けていく。子供の世話はすべてベビーシターか祖父母まかせ。この際に、子供たちは第二言語が必需品となる。
我々のような来客が家に存在しても、顔を合わす機会はほとんどない。
そのせいか、週末ともなると、歓迎会、誕生会、何とかの記念日、送別会などと称して、みんなが一か所に集まる。場所は誰かの家であったり、レストランであったり。多分、日本からの叔父・叔母を意識して、ジャパニーズ・レストランの集合が多い。
『みくに』という寿司屋では、前菜に餃子ととんかつ。主菜というかメインデッシュがお寿司という感覚なのだろう。マヨネーズやケチャップをつけるカルフォルニヤ・ロールと称する寿司が出てきた。
中華料理屋『江戸っ子』に集まった。中華料理は勿論だが、和・洋なんでもござれ。その量とユニークさは笑える。例えば、私が注文したかつ丼。巨大なエビかつととんかつの両方が大きな中華の丼ぶりにのっかって登場。会食の終わりが近づくと黙っていても「お持ち帰り用のハッポスチロールの器がたくさん出てくる。誰が注文したなんて無関係に、欲しいものを器に詰めこむ。妹が残したラーメンまでお持ち帰りするのには言葉を失った。
また別の日、『ホタル』という名のうどん屋で、鍋焼きうどんを注文したら、何を血迷ったか、味噌汁が付いてきた。
土曜日は一家お揃いで朝食だろう、と思っていたら、「近くの店へ朝食を食べに行く」と言う。四・五十席のお店はほぼ満席。妻が当店お勧めのホットケーキを、私がフレンチ・トーストを注文した。副食は?というので、ポテト何とやらを注文した。大皿大のホットケーキ二枚、立派なフレンチ・トーストは三枚。大皿に山盛りのポテト料理。そこにも一枚のりっぱなトーストがのっかっていた。食欲は完全になくなった。そのとき、「ベーコン?」とボーイ言った。妻は「ベスト?」と聞いたらしく「イエス」と答えてしまった。例のカリカリのベーコンが大量に登場した。
同行の者たちもメニューを見ていた。彼らの分は自分たちで注文したものと思っていた。彼らは分かっていたのです。サラダとデザートだけを注文したというからほっとした。
食はこれぐらいにして、次は仕事について。
勤めの場合、社のこの部分をあなたに任せる。時間は一日何時間、給料はいくら、契約期間は何年間。退職金はいくら等々、細かな契約をする。終身雇用ではないから最初から終わりの話をする。私は、この流動的な勤務体制に違和感を覚えるし、落ち着かない。
妹夫婦場合、最初はキリスト教の牧師だと思う。ここからの順序は曖昧だが、サクラメントの公務員、通訳、ガイド、翻訳等々。
もう一つ例をあげよう。末っ子の場合だ。UCデービス(UCとあれば国立大)で博士号を取得し、現在、地元の郡立(郡は市より大きい)大学の准教授である。契約期間は五年、教科は生物化学、週何コマ、給料はいくら。五年以内に教授の資格試験にパスしなければ、解雇である、等々。つまり、学生の教育は勿論、自然科学ですから、研究・実験を重ね、論文を発表し実績を積まなくては五年後がなくなる。
彼のパートナーはチャイニース・アメリカン。看護婦をしている。契約上で夜間勤務もあるとか。従って、学齢前の二人の子どもを時々中国人の祖父母か日本人の祖父母(妹夫婦)に預けて勤務に出かける。ここでも子どもたちがセカンド言語を駆使する必要が生じる。ある土曜日の夜、例の会食の最中に白衣に変身して現れると、今から夜勤に行くのだという。
最後に、私自身の話題に移るとしよう。
その前に妻のことを一言触れたい。
妻は、妹が仕事(病院で日系人や日本人患者の通訳)のない時は姉妹仲良くお揃いで久しぶりのショッピングに出かける。円高の恩恵を充分堪能したらしく出かける度に安い安いを連発し、獲物を抱えて帰宅する。日本に帰国して一度も使用しないで他人にプレセントしたぐらいだから、いくら安くても不要なものまで買うことはないべ、と思ったが、口には出せなかった。
そんな中、私はといえば、実に充実した日々を楽しんだ。
例の各自自由な朝食を済ませると、近くのサクラメント川の土手とそれに続く巨大な公園でウオーキング。毎朝出かけると一週間もすると、どちらからともなく自然に挨拶をするようになる。やがて英会話が始まる。「いい天気ですね。どこに住んでいるの?どこから来たか。日本の地震は大変だった。その時どうしてた?」等々。話題に事欠かない。
家に帰りつくと、義弟とは言え八〇歳の弟が私を待っている。家の前にも後にも大きな芝生の庭。ご丁寧にプールまである。庭のまわりにはレモンやミカン、オレンジなどの柑橘類。梅や柿、イチジクの大木。まだまだ、蔦ありブドウの木あり、数種類の松の木。確か杏や柘榴もある。近くのサクラメント川のせいで土地が肥沃なのだろう、日本では考えられないほど立派な木々。その上、家庭菜園もある。
プールの清掃だけでも、午前午後二時間ずつやって、二日がかり。週に一回は芝刈り。家の周辺や屋根の上の落ち葉集め。隣り家にはみ出した枝の切り落とし、レモンやミカンを収穫。雨でも降れば休みもしたが、毎日がかんかん照り。十月だというのに、日中は三十度以上。一汗かいては木陰で缶ビール。細かな作業の手順は説明しないが、日本と違うのは、力仕事はすべて機械がしてくれる。芝を刈るのは芝刈り機。大木を切るのはチェンソウ。プールの掃除はロボット。手がかかるのは機械の調節と故障したとき。それさえ済ませば、あとはまた、木陰で缶ビール。時には自家製白ワインの場合もあった。楽しい時は、「矢のごとく」過ぎ去った。妻たちの悪口の一つも言っている間に。
さてさて、旅行の報告を期待されている方々に、「いつまでだらだれと」とお叱りを受けない内に退散としましょう。少しでも楽しんで頂けたら幸いです。
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