作者 勝也・T
以前、このテーマで書いた記憶がある。しかし、どんなことを書いたか、何に発表されたか思い出さない。瞬く間に時間は過ぎる。文を書くことは恥をかくことと自分に言い聞かし書き始めるとしよう。
現役のころ、
ボランティアという言葉を軽々しく使っていた。たとえば、「我々の仕事はボランティアみたいなもんよ」というぐあいに。何かがあれば、夜中でも叩き起され、場合によっては飛び出さねばならん。労働はきつく責任は重大、その割には給料は安い、と自嘲とユーモアと慰めの積りで。
今思い出しても、赤面するような使い方もした。退職した先輩に、「ぶくぶく太っちゃって。喰ちゃ寝、くちゃねじゃないの。ボランティアでもしたら」と、大胆(?)な発言だ。何年後だったか、その先輩の奥さんに「主人は、障がい者の作業所で週3回ボランティアをしています」とニッコリ。私のかつての大胆発言の復讐か?
こんなこともあった。サンフランシスコ空港でそろそろ出発かという機内で「ボランティアを2名募集する」というアナウンス。続いて「この飛行機に乗る必要がある人がいます。明日のこの時間まで時間が取れる人はボランティアをしてくれませんか。ホテル代といくらかのお礼をするから」という。数分後に「ボランティアの申し出がありました」というお礼の言葉があった。乗り物の中で席を譲る、こんなのもまでボランティアか、と勉強になった。
自慢じゃないが、他人には「ボランティアをしろ」などとぬかしおって、退職後の吾輩の頭にはボランティアはなかった。
退職祝いに貰ったパソコンをマスターしようと、広報誌『翔びたつひろば』の初心者向けの講座に何回も申し込んだ。どうしたわけか、結果はいつも「はずれ」。
すでにパソコンをマスターしている妻に教えを乞うた。予想通り我が指導者の態度と言葉にいちいちカチンとくる。毎回、指導を始めて、数分後にはバトルが始まる。「パソコン、ぶっ壊してやる!」と何度思ったことか。
そんなある日、バトルの最中に、近所の方が「奥さんは?」と現れた。妻は階上にいるにもかかわらず、「いません!」と答えた。「じゃ、ご主人でもいいですよ」と言って一枚のチラシを置いて帰って行かれた。見れば医師会主催の「話し相手ボランティア講座」、毎週金曜日の午前十時から、場所は保健センター、全8回、無料とある。所沢市にはさんざん振られてきたが、医師会が主催ならこっちのもんだべ。お申し込みは電話でとあるから早速連絡した。パソコンからボランティアへと路線へっこうした瞬間である。
ところが、講座の前日だというのに何の沙汰もない。「講座、明日から始まるのに連絡がまだないんですが?」と言うと、「えっ、講座は来週の金曜からですよ。それに、連絡はどなたにもしてません。先着順ですから。もしかして去年のチラシを見てません?」だーって。
昨年の応募は60名。午前・午後で2クラスに分けたとか。2年目の今年は先着30名とし受け付けられた人は、すなわち「合格」。
「ボランティアとは」、「話し相手とは」、「傾聴との違いは?」等々。講座は進む、気分はどんどん学生に。学ぶって楽しいね!なーんちゃって。
講座が終った。さあ活動だ、とはりきったまではよいのだが、甘かった。男性への依頼はほとんど来ない。ます高齢者、特に男性は話し相手など少しも望んでない。望んでいるのはその高齢の家族である。仮に本人が望んだ場合でも、話し相手としては男性は男性を希望し、女性の高齢者は同性を希望する。「ジェンダー」の壁が私の前に立ちはだかるとは。門前払い。男女差別、トホホ!
男性のボランティアは難しいのよ、と誰かが言ったのを思い出した。男性のボランティアは囲碁・音楽のような趣味を生かすか、現役時代の専門を生かす、のどちらかと聞く。
未練がましく毎月の定例会に顔を出した。「玉嵜さん、男性でも女性でもどちらでもいいという人がいるんだけど。あなた行ってみる」と情報が出現した。
いよいよ初体験かと張り切って出かけた。現れた年配の方が「どっちらさん」と疑いの目で訊ねる。「話し相手の玉嵜というものです」と名のると。「看護婦さんから聞いたけど、今日じゃない」と言う。来月の訪問を約束し引きあげた。次の月は前日に電話で確認をしてから出かけた。この度は「曜日か違う」と言って、家には入れてもらえない。3回目は前日の夜と当日の朝の2回も電話で連絡をした、が、結局「体調が悪い」という理由で追い返される。要するに、見知らぬ男を家に上げる気になれないということなのだ。
4か月目、遂に入室ができた。ところが、部屋の中に元気のいいスピッツがうろうろ。警戒心からかスピッツ君、ウーッと唸ったかと思うと、キャンキャンと吠える。おちおち話などしておれない。
お前さんのご主人は85歳だぞ。吾輩は男だが心配は無用!騒ぐな!と心の中で言った。2回目はどうか。85歳は犬を胸に抱っこして何とかお話ができた。3回目、つのいに半年がかりで、やっと二人っきりになれた。
85歳は元来お茶の先生、通されたのはクーラーの効いた茶室。和服を着た師匠は言葉少なく真剣なお点前を見ているうちに、話し相手である自分の立場が何処へ消えてしまった。
「話し相手ボランティア」は対象者のほとんどは高齢者である。別れはいつも突然にである。この師匠との別れは「突然に」であった。
もう一つのエピソードを話そう。女性2・3人で話し相手をしていた。「長くアメリカで生活していたので、その時のお話が好きみたい。玉嵜さん一緒に来ない。話が合いそうよ」と誘われた。
アメリカ式だか、なんだか知らないが、びしっと背広を着た老紳士が門でお出迎え。帰りは私たちの姿が見えなくなるまで門の外でお見送り。その日の話題はもっぱら新入りの私の名前、つまり玉嵜の「嵜」で、厚い赤い表紙の漢和辞典の持ち出し、英語の先生による漢字の講義を受けた。女子大生(?)相手にゼミでもやっている感覚で元教授は一人盛り上がる。最初から最後まで「ご尤も、ゴモッテモ」でもっぱら聞き役だ。現在、あの時の元教授は老人施設の住民であるらしい。
茶飲み話しの相手くらいなら、と気楽な気持ちで始めたボランテォアである。今7年が過ぎようとしている。「話し相手」ですから第一手段は「言葉」である。しかしご存じの通り、言葉以外にもコミュニケーションの手段は色々ある。ジェスチュア、表情、絵や図、無言だって一つの手段だ。これらにはまた一つひとつ様々な意味が潜んでいる。
どんな手段であれ相手が発するメッセージを正しく受けとる覚悟で話し相手を勤めている積りである。しかし、いざ相手を始めると、早合点し、自分の価値観を押し付け、出来もしない解決をしようとしたり、最悪は、お説教だ。
わずかな経験であるが、他人の言葉を「聞く」ことは簡単なようでいてなかなかの技術である。これを少し勉強すれば人間関係も少しは変化するかも。
なに? 説教が始まった。 わかったよ。 これでおしまい!
追伸:ガイド部の先輩のお一人、本多さんがガイド・ボランティアを私に教えてくださった。本多さんありがとう。お元気ですか。
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