作者 敦子・M
一日目は近くの倉庫に積まれていたメーカーからの寄贈品箱詰め作業、鍋、薬缶、ポット茶碗、なかなか箱に入らない、数十箱、中腰が辛い、箱をトラックに積むのは重い。
それが終わると近くの仮設住宅へ配布。各家で声を掛けるが
ほとんど返事が無い。数回呼んでやっとトラックまで来て必要な物を渡す、これまた重くふらふらして落としそうになる。
3日目からはクリーンセンターからの依頼で物品の種分作業、多くの人が送ってくれた箱には種種雑多な物があり、分別しないと困る、夏冬はもちろん、大人子供(男女年齢その他)、どうしようと途方に暮れるボランティアに任せなさいと張り切り、私達が毎年バザーで鍛えたやり方を伝授した。午後は数百軒の仮設に配布。
5日目は荒川集会所の炊き出し。担当していたお母さん達からせめて土日は休ませて欲しいと要望が有り、代わりに行くことになった。料理に自信がない私達は元料理人の若者を無理に仲間に引き入れ4人で出かけた。リアス式海岸でくぼんだところ一つ山を越えるとそこは津波の爪痕、
3か月もレトルトや缶詰を食べているので肉や魚が食べたいと話していたので2000円預かり帰りに肉を買い、そうめんや料理酒の差し入れを翌日の人に頼んだ。
仮設住宅は元の住民が別々になり、交流が出来ない、ボランティアの協力で皆が集まり食べたり話したり出来る機会を作ってほしいと言われたので近隣の人達が物資を取りに来た時、コーヒーやお茶を飲みながら雑談出来るようサービス、心のケアーなど手伝う。
あっという間の一週間だった。カトリック信者は少なく一般の人達だった。
「帰ったら就職活動します。」という若者がいた。池袋から夜行バスで来て、床下にもぐりヘドロを掻き出し、炎天下の中道路の側溝を片付け。2日頑張って夜9時のバスで帰って行く、やっぱり若さかな。
帰りの釜石駅前はボランティアに来た人達で混雑していた、近くに社協のテントがあり、予約無しでも受け付けていた。長靴など貸してくれるが泊る所は自分で用意しなくてはいけないので大変そうだ。
復興にはまだまだ長くかかると思う。町、市、NPO法人などでバスを仕立ててくれたり援助してくれるところもあるようなので行く時には調べてみるとよいと思う。
思いつくまま書いたが少しでも情報としてみていただければ幸いである。
0 件のコメント:
コメントを投稿